諏訪盆地の集落と地盤 ― 古地図・ボーリングデータ ―
(はじめに)
諏訪盆地は、日本列島を東西と南北に分ける大きな断層が交叉する複雑な地質構造の下に置かれている。
盆地周囲の山体は第三紀以降に生成堆積した火山噴出物により覆われ隆起上昇を続け、盆地は拡大沈下を続けている。
山体は重力と雨水により崩壊と侵食を継続し、盆地内には周囲山体から供給された土砂が堆積し盆地内土層を形成する。盆地内に堆積した土層は、盆地底の拡大・沈下に伴い間欠的に沈下し、一旦盆地内に形成された地形面(盆地床面)は沈下消滅し、静水面に置き換わる。
盆地内の静水面ないし低湿地帯には、腐植土・スクモと呼ばれている低湿性堆積土層が生成堆積する。ボーリングデータにより現在の地下10~20m、ないしは30~50m以深まで太陽光を浴びた生物(植物)が生成したこの土層が堆積していることが分っている。
また湖心で実施されたボーリングデータにより、水面下80mまで河流により運ばれた砂礫が堆積しており、静水面が消滅し河川状態であった時期があることが分る。
諏訪盆地が地殻変動により拡大沈下を繰り返し、湖が消滅・若返りと陸化・埋め立てを繰り返していることにより、盆地内土層に砂礫とシルト腐植土の互層構造が生まれていると考えることが出来る。
最初に取り上げる平坦部の集落は、諏訪湖南東の沖積平野に発生した集落であり、古代から近世までの間に陸化に伴い発達したと考えられている。
古絵図を読み解くことにより、地形・地質と主には農耕に係わる生産様式と人々の暮らしの関係を考察することとする。
戦後の高度経済成長に伴う宅地造成により急激に拡大した生活空間の拡大と、地形・地質および地下地質構造との関係と問題点についても考察する。
平成22年~23年にかけて開始したこの課題は、東北大震災と以降に発生した自然災害により中断してしまった。令和4~5年に古絵図の解読を古文書の会の皆様のご協力により再開している。ボーリングデータの整理・解析と併せ、諏訪盆地の集落の発生・発達とその問題点について考えてみたい。
なお古絵図の中に記される文字の解読に関しては、諏訪市博物館・諏訪市公民館古文書の会の皆様のご協力により活字化されており、読み方についての詳細は古文書の会の皆様に直接お問い合わせ願えればありがたい。
〔用いた古絵図図書〕
1.諏訪藩一村限村地図 発行者 諏訪郷土研究会(再刻 昭和53年9月10日)
2.諏訪藩主手元絵図 発行所 諏訪史談会(昭和60年1月)
・古絵図には、下筋(23葉)、東筋(42葉)、西筋(35葉)、三千石(9葉)計109葉が収められている。
〔古絵図の解読〕
・古絵図に記された文字の解読には、諏訪市博物館古文書の会他の皆様からのご協力を戴いた。
第1期(H22.12~H23.2)
・諏訪市博物館古文書の会((代表中野豊子 当時)、古畑しずゑ他諸氏)の協力を戴き、諏訪湖南東の沖積平野(平坦部)に立地した集落絵図の解読を行った。
平坦部の集落(計29葉)
下筋
下桑原村、小和田村、大和村・新井
東筋
上桑原村、赤沼村、飯島村、神戸村、上原村、新井村・上赤田新田・下赤田新田、上金子村、横内村、中河原村、矢ヶ崎村 塚原村
西筋
福島村、下金子村、中金子村、文出村・上小川・下小川、田部村、有賀村・上野新田・覗石新田、北真志野村、板沢新田、南真志野村、後山新田・椚平新田、大熊村、神宮寺村、高部村、安国寺村、茅野村・坂室新田・船久保新田・二久保新田、田沢村・丸山新田・北久保新田
第2期(R4~R5以降)
・諏訪市博物館・諏訪市公民館古文書の会 会長古畑しずゑ、小口春子他諸氏の協力を戴き、諏訪湖周・湖北扇状地・天竜川谷に立地した下筋集落絵図の解読を行った。
湖周・湖北・天竜谷の集落(計19葉)
下筋
高木村、富部村・久保村・武居村、友之町、下諏方町、下原村・萩倉新田・樋橋・餅屋、東山田村、西山田村、今井村、東堀村、西堀村、小井川村・若宮新田、小口村、岡谷村・新屋・間下・上浜・下浜、三沢村、新倉村、駒沢村、鮎沢村、橋原村、花岡村 小坂村
第3期(未定)
・残る東筋の集落と西筋に残る集落については、詳細計画未定。