神戸地区|諏訪盆地の集落と地盤

<絵図と地形>

 図幅下部を右から左(南から西)へ江川(上川)と新川(中門川)が流れる。広瀬から新川が分流しこれが尻くさり川→東原川→中門川となる。この二川は、狭長な中島畑を挟み並走する。隣図幅を見ると江川には、赤沼境に車橋が架かる。新川(尻くさり川)には、北神戸せき沢橋が山ノ神から流下するせき沢との合流箇所付近に記されている。上流広瀬の分流起点には、広瀬橋が架かる。二川に沿い自然堤防が発達し中島畑の微高地が形成されたと思われる。
 図幅下半分に盆地に面す東山の山腹斜面が描かれ、上半分に東山山体の背面斜面の起伏が描かれ山蒲の埴原田方面への接続道が記される。
 盆地内側の東山斜面では、山麓線に沿い大道(甲州街道)が走り集落が展開する。
 下筋側の上桑原境のせき沢、集落中央の鎮守沢・北小路沢、三ツ池、上原境の東小路沢が形成する扇状地と大道が交わる一帯に家数百三拾五軒、元高四百四拾石の集落が置かれる。
 耕作地は、大道下の新川に沿い“田”、大道上に“佃”“畑”“山田”が混じり記され、斜面頂部より裏側の東背斜面に畑が広がる。背斜面の耕作域には、林道の様な農道(耕作道)が網目状に巡らされている。盆地側斜面の沢筋の奥まった所に山ノ神3社とちん守が祀られ、その付近まで耕作が及んでいる。背斜面は、地形が緩やかで沢筋(久保)が入り組み畑耕作が営まれている。
 神戸村元高四百拾石、高四百八拾八石四斗五升六合壱勺に対し、物成三百弐石八斗八升五合五勺、内九升八勺六才、山役米と記載されており、物成が多いことが分る。

神戸村  家数 百三拾五軒 内御徒以上之家四軒 外寺一ヶ所 庵一ヶ所
     御城より壱里九町五拾五間五尺 神戸村一里塚迄
    元高 四百四拾石
     高  四百八拾八石四斗五升六合壱勺
        物成 三百弐石八斗八升五合五勺
         内 九升八勺六才 山役米

<地質>

 この地域で実施した地質調査のボーリング柱状図を示す。

〔No.1地点〕
 盆地東壁山体の急な斜面が、山麓部で緩やかに勾配する低平地に移行し、旧甲州街道が山麓斜面の中央を縦貫する。JR中央東線と国道20号が低平地の末端を通過する地域で、鉄道に接する山側の工場敷地地点で実施した地盤調査データである。
 GL~-3.00m 表土および細粒土、表土下に小角礫を含むシルト・ロームと腐植を挟在する砂混じりシルト層がGL-3.00mまで続く、N=5・8
 GL-3.00~6.40m シルト混じり砂、灰褐~緑灰褐色を呈す花崗岩風化砂、緩い~中密に締る、N=10・21・14・11
 GL-6.40~11.45m 玉石混じり土砂・礫交じり土砂、φ40~70mmの亜角礫、φ20~50mmの亜円礫を少量含む礫交じり土砂、N=60・60・60・27・60
 GL-11.45~14.85m シルト混じり砂、N=23・46・60
 GL-14.85~15.45m以深 礫交じり土砂、N=50

〔No.2地点〕
 山麓集落内に建立された寺院の敷地地盤データである。この地形面全体が花崗岩質土砂に覆われている。GL-2.50mまでの比較的粒径の小さい土砂の下に、玉石転石を主体とする大きな径の礫が挟まる。GL-8.40m以深に風化花崗岩が現われる。
 基盤岩風化域の上に約8mの崩積土層が覆っている。崩積土は、その上部に径の大きな礫を堆積している。
 盆地東壁山体に広く分布する花崗岩の風化土砂が約8m堆積、以深に花崗岩質基盤岩を深度15mまで確認した。
 GL~-1.85m 礫混じり土砂・砂混じりシルト、表土
  ~-2.50m シルト混じり砂礫、真砂優勢
  ~-5.10m 玉石混じり砂礫・花崗岩転石
  ~-8.40m シルト混じり砂礫・玉石混じり砂礫・砂礫、下部密に締る
  ~-15.30m 風化花崗岩、真砂状に風化の進行した花崗岩、所々で新鮮なコア採取、大半がハンマーでボロボロに砕ける程度に風化が進行