飯島地区|諏訪盆地の集落と地盤

<絵図と地形>

 延久(1069年)以前の諏訪湖図(図1-2(a))は、諏訪湖を広く描き湖中に飯島は無い。永禄(1558年)の諏訪湖図には白狐島の他に名の無い大小二つの島が描かれ、その内の一つが飯島を指していると推定される。

 享保の頃(1700年代前半)に描かれた一村限村地図は、東から北へ流下する上川※1とその左岸に立地する家屋群を示す。家数66軒の飯島集落である。南は上金子、西を中金子に接する。

 上川は、赤沼境から西へ支川を分流し福島デルタを形成した※2。上川左岸の家屋群が占める区域は、現在も宅地や畑地と果樹園としてまとまった地帯となっている。飯島の果樹は、諏訪地方の果樹園芸の先駆けとしてその名を知られ現在も果樹園が営まれている。微高地が占める面積は広く、このことから考えると、古絵図の大きい方が飯島に相当するのではなかろうか。

 

<地質>

 柱状図は、かつての飯島村の区域をわずかに外れ水田地帯に入った地域の地盤を代表する資料として掲げる。地表部にわずかな人工土層が置かれ、地表面下10m付近まで在来の極めて軟弱な自沈土層が続く。地表面下(GL-)14m付近からは、締った砂および砂礫層が連続分布する。

 軟弱な腐植土層は、かつてそこが低湿地でありマコモ(この地方でカトギと呼ぶ)等の低湿性植物が繁茂していたことを示す。下位の締まった砂礫層は、上川系の河川が運搬堆積した安山岩質の河床砂礫を主体とする。

 この柱状図では、極めて軟弱な腐植土層がGL-13m付近まで続き、わずかのシルトと砂層を経てGL-15mからいきなり密に締まった砂礫層に移行している。上川沿いの自然堤防区域内では、上部土層に極軟弱腐土層が少なく砂ないし砂礫層の占める割合が多いと推定される。